Team

 人不足だと言われているが、それに呼応するように労働者に求められる専門性は上がってきている。IT 業界だって例外ではなく(もともとそういう性質の分野ではあるにせよ)、中小規模のプロジェクトなど、一人で案件を抱える人が増えてきているのではないかと思う。僕はソフトウェアエンジニアで、同業者の中にはそういう一人プロジェクトを抱えている人がたくさんいることも知っている。さしずめ僕らには充実したツールが揃っている。一人でもチケット管理して、一人でもソースコードのバージョン管理して、一人でも CI を通す。デプロイ、メンテナンスも一人で出来てしまうので、外から見れば一つの開発現場があって、ちゃんと回っており、しかもたった一人のアサインで済んでいるという、とてもリーズナブルな完結状態が、そこにはあるように見えると思うのだ。

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 ではそこに取りこぼされている問題は無いのか?と考えてみるに、まずは属人性の高さが議場に上げられるだろう。その人がいないと分からないことが多すぎるからドキュメントを残すことが重要だ、とか。いかにもありそうな指摘である。しかし「属人性の高さが問題になるが故に、埋もれてしまう問題というのがあるな」というのが僕の気づきであったし、それが本記事で書きたいことである。

  今年の初頭を思い出してみるに、僕の仕事での立ち位置はそういう状態を目指していた。いや、組織のバランスからして必然的に、もはやマネージャ層の誰もが無意識的なまま、そして僕も能動的にやっているという自覚を持って、しかし今振り返ると実は倒置的に、"目指さされて" いたように思う。

 僕はこれまでやっていたプロジェクト A のいちメンバーとして作業をするとともに、並行して、別プロジェクト B を任されていた。そのプロジェクト B には、これまでの経験を存分に活かすことができるミッションがあり、そこでは僕が完全な采配を振ることが許された。ただ一つ憂鬱なのは、プロジェクト B に外接する別プロジェクトが多数あり、それらとの接続を維持し続けないといけないという条件があることだ。大事なのは continuity と consistency である*1。憂鬱とはいえ、その程度の事情を抱えたプロジェクトというのは珍しくも何とも無い。一切しがらみが無いような、全くの新規という方が稀有なのだ。

 

 さて、いざ机に向かってみると、しかし不思議なことに全く進まない。

 僕の頭の中には進むべき方向が見えていた。最終的なゴールまでの道筋が鮮明に見えているわけではないけれど、今こっちに進むという判断には十分な妥当性がある、と理解していた。また今後は「本当にこっちで良いのかを疑う自分」を同伴させて、おかしいと気づいたら早めに歩みを止め、時には踵を返すぐらいの冷静さが必要だ、とも理解していた。頭の中では準備万端なのだが実際に手を動かすとなると躊躇してしまう。時間だけが刻々と過ぎ、気づけば朝いた場所からほとんど動かないまま夕方になっていた、なんてこともあった。いや一応、サボっていると思われるとアレなので付け加えておくと、プロジェクト A で優先度の高い作業があるので、そっちをやっていたのだ。
 僕はその頃、どうして自分が躊躇しているのか分からなかった。つまり座り馴れた運転席と、効きの良いブレーキと、とてもよく光るライトが備わったスーパーカーがあるのに、どうにもこうにもエンジンがかからないのである。
 焦りとは裏腹に、「目立った実績の無い期間」という実績が積み上がってゆく感じがして、それがさらに焦りを増幅させた。勘違いさせてしまうと申し訳ないので補足しておくと、例えば作業しようとすると四肢が硬直してひとり PC の前で脂汗を書いていただとか、動悸や痙攣を起こしていただとか、そういう病的な状態だったわけではないのであしからず。とにかく、プロジェクト A の優先度の高い作業を先に片付けてから、プロジェクト B についてちょっと考え直そうと思うに至った。そして「ちょっと考え直そう」と思っている期間が、信じられないことに何日も続いているという事に、ようやく気づいた。

 

 何かがおかしかった。プロジェクト A の作業は順調に進むのに、プロジェクト B の作業は遅々として進まない。
 そこで、プロジェクト B について考え直す前に、「プロジェクト A とプロジェクト B を抱える僕」というものを考え直してみた。そこで気づいたのは、プロジェクト B の進み具合の良し悪しを、そもそも誰も見ておらず、誰も判断できず、誰も責任を持たないという完全お任せモードでありつつ、同時に、プロジェクト B の成果物を何人もの人が好き好きに要求し、何人もの人が早めに欲しがり、何人もの人が「俺の考えるベスト設計」を持ってきては妥当かどうか説明を求めてきている現実があった。もちろんそういうマルっとお任せするような指示体系が悪いのではない。僕も何だかんだで三十半ばなのだ。
 本当の問題は、経過や進捗に対する周囲の無関心さと、無責任に釣り上がる成果要求との落差を受け止めつつ、その両者のすり合わせや、関係各位への説明行脚を可能な限り丁寧に継続しつつ、そういうプロジェクト B の経過と成果についての責任は持ちつつ、それまでフルコミットしていたプロジェクト A のメンバーとしての振る舞いを維持しつつ、そもそも僕は妻子のいる家庭のために働いているということを頭の片隅に置いて、1 行のコードをアウトプットするということが、僕にとっては辛い事なのだ、ということを僕自身が自覚していなかった点にある。

 

 やっと問題を発見できたので、それを解決する筋道を立てた。僕はマネージャに「プロジェクト B のチームを作りたい。メンバーは僕一人から開始、で構わない。」という旨を伝えた。今振り返ってみても、この一言が停滞脱出の決め手だったと思う。逆に言えば、それまでその一言が出なかったせいで停滞させてしまっていたということだ。僕はプロジェクト A から抜けさせてもらって、プロジェクト B のためのチーム旗揚げとなった*2。これはつまり、僕個人ではなくチームこそを会社の価値とするようにしてほしい、という僕からの提案である。
 それから僕は、何時とも誰とも知れぬメンバー加入をスムーズにするため、僕の頭の中に閉じ込めておいたあらゆるものを書き出した。書き出してみると、こうすれば出来ると見込んでいたものが実は出来そうにない、とか、このあたりにトラブルの種が息を潜めているとか、そういうものが見えてきた。それは僕が全てを頭の中に抱えている限り見えてこなかったものである。またさらにプロジェクト B の毛色に合わせた開発の進め方について、指針をまとめた。それと時期を同じくして新メンバーが加入し、チームは二人体制になった。チームが二人になると、相談、協議、レビュー、並行作業、などといったチームの活動の選択肢が増えた。僕は一年先になるのか二年先になるのか分からない遠いゴール到達までの道のりを細やかに想像するのをやめ、チーム内の合意をスプーンひと匙ぶんで良いから確実に広げるために尽力するようになった。気づくとそれで僕の精神的な負担はほとんど解け落ちていた。暗くてよく見えていなかったのか、実はスーパーカーには埃が積もっていたのであって、ガレージの明かりをつけてちゃんと整備してやればエンジンがかかるのだ。それから二ヶ月ほど経つが、プロジェクト B は過去に類を見ないほど進捗しており、僕はこれで良かったのだと思えている。

 

 さて、冒頭の問いに戻ろう。
 一人で抱えるプロジェクトには「属人性の高さが問題になるが故に、埋もれてしまう問題」がある。それは、属人性が高いという事実が、周囲の無関心を誘発し、誘発された無関心が一人プロジェクトに牙を剥き、剥かれた牙が一人プロジェクトの脆いところを噛むとき、プロジェクトは内部崩壊を始めるが、その様子を外から見ることはできないという事である。なぜなら、見ようとする行為そのものがもう一度噛むことと同義になってしまうからだ。また、その経緯においては誰も悪者ではないというのが輪をかけて厄介である。プロジェクトの成果に責任を持つ最低の人員は二人。もし長期間、一人に任せるのであればそれ相応のリスクがあることを知るべきである。

 

 僕にとっては 2018 年の最大のテーマがこれだった。2019 年はそれ同様の辛い思いをすること無く、しかし成果はちゃんと上げるという良い循環へと進んでいける予感がある。またプライベートでは家族が一人増えそうなので、とにかく健康にだけは気を使っていこうと思う。今年はもう記事は書かなさそう。皆さま、良いお年を。

*1:どこかで聞いたことがある組み合わせだ

*2:キックオフの乾杯?リモートワークしている自宅デスクでひとり RedBull 缶あけましたけどそれが何か?