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集中せずとも失敗しないのがプロだろうが、集中を呼び寄せるのもプロだろう。

生活

 仕事をしていて「今は集中できていないな」と気付くことがある。ずっと集中しっぱなしというのはあり得ないから、「後でまたペース上げて取り返せば良いか」と思うのだが、そのまま何となくその日の業務が終わることもある。

 

 さて、羽生善治のこの本が面白かった。


Amazon.co.jp: 決断力 (角川oneテーマ21): 羽生 善治: 本

 この本を端的に紹介するのは非常に難しい。説明を文章にするとこの本の良さを損なってしまうような気がするのでやめておく。

 

 この本では何度も、氏が集中することについて書かれている。その文章から伝わってくる気迫のようなものは、将棋の対局の中の緊張感や、貪欲になって学び研鑽するときの狂気などを想像させてくれる。

 そうして一通り読み終えて、本の中で書かれている「集中すること」と、最近の僕が言っている「集中すること」との間にはずいぶんと格差があるなーと気付いた。どうも最近の僕は、手が動かせているならそれは集中している、と、考えているような節がある。そのため仕事する時間の気分を少しでも良くするようにと、ラジオを垂れ流しておいたり、作業用の音楽を YouTube に探しにいったり、やたら味の濃い飲料を口にしたりしていた。しかし、そうやって仕事した気になっていた僕は、ラジオの操作をしたり、 YouTube の広告が終わるのを待っていたり、冷蔵庫を開けたりしているだけで、そもそも期待していたような集中モードの時間にありつけていない。git で、最も集中できていたであろう時期のコミットと最近のコミットを比較してみるとその差は瞭然だった。書いたコードの行数が違うとかそういう事ではなく、自分が書いたコードの密度は自分がよく分かっているものである*1。「自分の管理は(足らないところはあれど)自分でやっている」という自覚は、どうも幻覚だったらしい。

 そこで、仕事しているときにバックグラウンドで音を鳴らすのを止めて、飲料は水かブラックコーヒーに限定した。たったそれだけで、グッと集中できるようになった。思考の根がより深いところに届くようになり、時間あたりの密度が非常に濃くなる感がある。読書するときにも適用したら、本の読み込みが良くなった。

 

 「集中するためには気分をハイにするのが大切で、そのために何かを足してみよう」という発想は基本的に間違っているんだろうと思う。「集中するためには気分の善し悪しなどどうでも良くって、まずはノイズっぽいものを取り除いてみよう」という発想の方が良いようだ。気分の善し悪しが集中をトリガするのではなく、集中することが気分の排除をトリガするのだろう。

*1:コードレビューで指摘してもらうコードの品質とはまた別の話をしている