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何故プログラマやってるのか

生活

 あけましておめでとうございます。
 昨年の暮れ、「kura さんがプログラマを続ける動機は何?」っていう問いを受けました。その問いをしてきた人は医療系のプロダクトに全力投球しているプログラマです。彼は、過去に医者に世話になった経験から何らかの恩返しがしたいという思いと、それによって病に人生を削られる人たちをできるだけ少なくしていきたいという願いをモチベーションにして日々頑張っているのですが、僕からはそういう "踏み込んだ思い" のようなものを聞いたことが無かったから不思議だったんだろうと思います。
 で、問いを受けて少し考えてしまったんですが、そういう意味での動機って僕には無いような気がします。そういう意味っていうのは、例えばゲーム開発している人にはゲームが好きで好きでしょうがない人がいたりするじゃないですか。また一方で、プログラムというものが好きだとかソフトウェアの技術的な興味が尽きない人っていますよね。だけど僕にはそのどちらも無かったりします。皆さんはどうでしょ?
 僕の場合は、少しばかりプログラムが書けるから食いっぱぐれないためにそれを仕事にしていますけども、裏を返せばプログラム以外のことを仕事にすることを想像できていないっていう点で危ういです。でも、その危うさを意識しているからこそ、何のためのプログラムを作ることになろうとも(たとえそれが嫌なアプリだろうと)、プログラムを仕事にし続けることを辞めないためのココロの固さが必要になります*1。ココロの固さとか言うと、ほんとただの精神論とかなんちゃって哲学の領域になってしまいますが、僕はそういうことを考えるのが多分、楽しいんだと思うんですよね。こうやって文字に起こすとどこか消極的になっちゃいますが、動機というならそんな感じだろうな。
 … とかいう事を "プログラマの哲学" というフレーズでまとめるなら、いわゆる「プログラマかくあるべき」的な話を僕は連想してしまいます。「プログラマかくあるべき論」は冗談をいう席でよく話のタネにしたりしますが、さすがに仕事でこれをマジに突き詰めようとする態度は自意識過剰で小寒いよなーと思ったりします。というのも職業プログラマってのはプログラマである前に組織のメンバー(平たく言えば従業員)である、っていう視点が欠落しているように感じられるからです。組織には例えば経営をする人がいたり、掃除をする人がいたり、経理とプロマネを兼ねる人がいたりしますが、彼らは「組織の歩みを支えるために○○の作業をやる係」であるに過ぎません。そうした並びの中に「△△のプログラムを書く係」がいるだけだ、というのが僕の認識です。なので「俺らプログラマはかくあるべきだから、それを分かってないマネージャ・経営はダメだ」っていう態度は「オマエら、俺らプログラマをもっとサポートしろ」ってふんぞり返ってるのとほぼ同じじゃなかろうかと思います。

*1:あ、今の仕事は楽しんでやってますゆえ、お間違い無きよう...