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Twitter で希釈される自己

生活

 Twitter でフォロー数が増えると TL が追えなくなるとかいうがそんなことはどうでもいい。それよりもフォロー数が増える事で TL に流入する主体の数が増え、見える世界が気づかないうちに変わってしまうことの方が僕にとっては問題。

 これを書いている現在、フォロー: 765, フォロワー: 992。

 フォロー数が増えるといっても、そもそも僕がフォロー数を増やしてるんだけど。TL はその意図通りに非常にゆるやかに肥大化してきた。最初はあいつとこいつとあの人がいる、ただそれだけの TL だった。こじんまりとした箱庭だった。でも今は常に誰かが雑談していて、まるで都会の横断歩道みたいに僕の周りを人がすり抜けてゆく。

 「僕だけの TL」であるはずの Twitter が、いつのまにやら不特定多数と交流する「普通の Web」に近い場所に成り下がってしまった。この感覚の変遷はじわじわと進行する。僕みたいにぼーっとしてたら感覚的に変化を認知できない。

 さて、その一方で入ってくる情報量は増えた。それも多角的かつ迅速に情報が回ってくるようになった。箱庭では不可能だった速度で情報が飛び交っているんである。

 という二つの変化が同時にじわじわと進むと、まるで皆が僕の数倍の速度で生活しているような錯覚を覚える。そして同時に、自分の思考の偏りがやたら酷いものであるかのような錯覚を覚える。人は誰でも何らかの偏りがあると思うんだけど、今の TL を見ているだけでその偏りが不用意に強く感じられてしまうんである。
 一方、ふとした別の瞬間には、自分の色の無さにうんざりする。僕という人格には取り柄も人に与えられる物も何も無いような、まるで世界からお前は居ても居なくても変わらねーよ、と無視されているような感覚に陥る。

 こういうのを繰り返すうちに、僕自信が僕を見失うように思う。そうなるくらいなら Web とのつきあい方は変えた方がいい。