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if コードレビューの障害 == コミュニケーション能力 then ...?

 「コードレビューはどうやるのが良いか」という話を、最近チョイチョイ見聞きします。その中で参加者のコミュニケーション能力がトピックになります。レビューの中で行う指摘が参加者の心を傷つけ、萎縮させてしまい、円滑にレビューが行えなくなるのって問題だよねー、的な話です。

 

コードレビューに参加する態度

 コードレビューでは誰かが書いたコードを別の誰かが確認・指摘するワケなので、肯定的な言葉よりも否定的な言葉を使う場面はやはり多いです。指摘を受けたからといっていちいち凹んで業務に支障が出るようではレビューをやる意義が薄れるように思います。とはいえ「間違いを指摘されたときに凹まない強靭な精神を持とう」とか言うのはアレなので、いちいち凹むような状況をつくらないように最低限の配慮をしていくのがベターでしょう。

 

原因はコードレビューの方法が悪いからでは無い

 参加者がいちいち凹まないようにするため、コードレビューの方法を工夫してルールを敷設する企業があるそうです。例えばこんなの。

 △「ここは××より○○の方が速い」

 ◎「[提案]ここは××より○○の方が速くなりそうなので○○の方が良いかなと思うんですが、どうでしょう?」

  こうしたルール付けはある程度の効果を上げそうですが、あんまり長続きしないような気もします。というのも、言葉には感情がにじみ出るものだろうからです。ルールで表現の幅を狭めたとしても、しばらく運用すれば、レビュー参加者はその狭い表現範囲の中に互いの感情の起伏を読み取るようになっていくと思います。まあだからと言って「ここ、エンバグしてるよバカじゃねーの?」とか書くのは問題外ですけども。

 で、「こういうルールを敷いたら以前より上手く回るようになったよ」という成功談があるからといって、「ああいうルール敷設をやっていないからウチではレビューがうまくいかないんだ」と考えるのはちょと違うだろうと思います。多分そういう環境ではコードレビュー以外の議論の場でも同じような問題が発生してるんじゃないでしょうか。コミュニケーションがうまくいかない現実を、コードレビュー方法の選択という小さい領域の中で解決しようとするのは、問題を過度に矮小化して認識してしまっている証左であって、それってちょっと残念な感じがします。問題はもっとずっと大きい領域にあるんだっていう認識を持つ事が大事でしょうね。

 

よく語られてる問題その2

 それとは全く別の問題で、「レビュアーが居ない問題」もよく語られてる気がします。レビュイーが最もそのプログラムに精通していて、一人たりともレビュアーとしてふさわしい人間が居ない状況って割とあるよねー、という話です。こういう場合にどうするか?

 ... というのはいくら検討しても無駄なので早々に人を増やしてもらいましょう。コードレビュー云々の前にそれはトラックナンバー1、すなわち開発組織の急所です。

 

結局のところ

 コードレビューの障害がコミュニケーション能力にある場合にどうしたら良いかっていう最初の問いですが、その答えとしては「ちゃんと開発チームの空気作りをやってコミュニケーション能力をある程度まで伸ばしましょう」という凡庸な結論に着地するのが良いと思います。総論としてそうしておいて、末論として現場の実情に応じた手を打つべし、打つべし、です。

 

良いメモアプリが無い件

 

まぁ、タイトルの通り

 仕事でもプライベートでもちょっとメモを取る事はあるんですが、書く先が紙であったりスマホであったりパソコンであったりして情報が散らかってしまい、とにかく気持ちが悪いです。皆さんどうされてるんでしょうか。

 

デジタルデータにしたい

  メモの実装はまず紙に書くかデジタルデータに書くかっていう点でざっくり二分できます。どちらを採るにせよ長所と短所が出てくるんですが、デジタルデータにしたときの長所としてはコピペができたり通知が効いたり他のデバイスと sync できたりっていう選択肢の広がりがあります。そういうメリットは(電源が必要だとか記述性が悪いとかいう、紙と比較したときのデメリットを差し引いても)当然欲しいので、それらを存分に引き出してくれるメモアプリを探していたんですが、いくら探してもコレというものが見つかりませんでした。

 

徒労で終わるのもシャクなので

 いくつか良さそうなアプリを紹介します。(僕は iPhone/Mac を使ってるプログラマなので、だいぶバイアスかかってます)

 

Kobito

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 プログラマ向けに作られたアプリ。使ってる人も多いんじゃないかと思います。メモをマークアップ言語で書くのが特徴的です。データはローカルに保存されます。コードのシンタックスを考慮した装飾が効く上、検索も速いので、1 枚のメモが巨大になっても見やすさが落ちないのが良いです。でもメモの件数が増えると収拾がつかなくなるように思います。あと他のデバイスと sync ができないし通知とも連携できないです。一応メモアプリということになってますが、メモというよりちょっとした資料を書くためのアプリ、という感じがします。

 

Simplenote

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UI は Kobito と似てるんですが、こちらはプログラマ向けではなく、ほんとに単なるメモです。「単なるメモ」を模したアプリは掃いて捨てるほどありますが、これは UI が徹底してスッキリしていて好感が持てました。あとメモごとに編集履歴をさかのぼれるのは素晴らしい。とはいえ、やっぱりこれも sync できないし通知も使えないです。 訂正: sync できるっぽいです。API も公開されてます。(@unagix さんありがとです!)

 

iOS/ Mac のカレンダーアプリ

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 標準搭載されてるやつです。とりあえず iCloud で sync してくれるので iPhoneMac 間でのデータ管理は何も気にしなくて良いです。通知も使えます。メモを書くのが主たる目的のアプリではないのですが、同じく標準搭載のメモよりもよっぽどメモとして優秀な気がします。Google カレンダーも同様ですね。

 

Evernote

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  恐らく最も使われてるメモアプリ。デバイスをまたいだ sync はもちろん、デバイスに応じた通知が使えます。テキスト、画像、表、音声、添付ファイル、プレゼンテーション、SNS 連携、etc... 何でもアリな感じに仕上がってます。

 

なぜどれもこれも使いにくいのか

 上に挙げたものを含めいくつか試したものの、どれを使ってもイマイチしっくり来ませんでした。しかしそれって妙な話です。だっていずれのアプリも基本的には「メモ用紙(またはカレンダー)に何かを書いてそれを後から見る」っていうオペレーションをソフトウェアで再現しているワケで、不用意に使いにくさを感じるハズは無いと踏んだのですが...。たぶんその理由は、紙のメモだと書いた後でどこかに貼ったり誰かに渡したりっていう使い方ができる一方、アプリだとそれができないからでしょうね。書いたメモをアプリの外側へ出せないという制約は無視できないほど大きなデメリットである、ということです*1。やはり「情報はあるべき場所に配置してナンボ」ですね... っていう基本原則に立ち返ったところでようやく本題。

 

「ということは、メモアプリはかなり限定的にしか使えないのか?」

 という話になるんですが、そういう結論で締めるのは恐らく拙走で、単にメモアプリがまだ紙ベースのメモのメタファーとしてしか機能しておらず、デジタルデータであるという前提が持つ潜在的な機能を発揮していないだけなんじゃないかと思います*2。というのも、前節で「情報はあるべき場所に配置してナンボ」と書きましたが、その場所っていうのは物理空間だけとは限らないからです。メモアプリは、物理空間に書き残すべきではないメモを、一括して引き受ける方向へ特化するのが良いと思います。

 

書いたメモをふさわしい場所に配置する

 メモを書き残しておくべき場所は、例えば自分が思考する世界観の中だったり、議論のコンテキストの中にたくさんあるはずです。紙にアイデアスケッチしてみたら紙のサイズによって思考が制限されたり、ホワイトボードに書いた議事録が有効活用されなかったり、という経験は誰もが持っているんじゃないでしょうか。その情報空間とでも言うべきものが作れれば、それこそがメモを書き残しておく場所になるからです。そうすると次は、その情報空間をどうやって作るかが問題になりそうですが、別に大層なものを拵える必要は無く、メモの集合そのものを以て空間の定義としてしまえば良いんじゃないかと思うんです。メモひとつひとつが情報空間の断片なんだし。

 例えば本を読んだ感想だったり、日記だったり、ふとしたアイデア、複雑な問題の整理、タスク調整、それらへの注釈や議論の経過... そういうアレコレを、メモとメモの構造的な関連づけ*3で表現したならば、次に書くであろう 1 枚のメモを置くべき場所が自ずと決まってくるんじゃないかと思います。

 

スマホとメモ

 ちょっと話を戻します。最近の猛烈なスマホの普及によって、メモを持ち歩く事が出来るようになりました。相変わらずアプリの内側から出られないメモではありますが*4、少なくともデジタルデータとしてのメモに触れられる物理的な位置が広がったと言えるでしょう。これって恐らくビッグイベントで、例えば「そろそろ◯◯の時間じゃない?」と思い出させてくれたり、「いま数年ぶりに××駅に来たけど、以前は忙しかったせいで、行ってみたかった□□に行けなかったよね。今回はどうする?」とかいう使い方ができるようになったってことですよね。思考を形成するのは日常生活だと思うのですが、デジタルデータになったメモが物理的な日常生活のキワキワのところまで接近してきてるということは、メモアプリが今の Evernote よりもう一歩進化する時期に差し掛かっているってことなんじゃないかと思います。

 

というわけで

 こういう文脈を踏まえたメモアプリって、何か無いでしょうかね。「メモアプリが進化する時期が来てる!」とか大げさな表現しつつ「オマエが知らんだけだろ」っていうのもこっ恥ずかしいので、何か知ってる人、情報ください。

*1:「書いたメモを、アプリ内のコルクボードにぺたぺた貼付けられます!」っていうアプリが世の中にはいくつかありますが、ああいうのは使いにくさに拍車をかけるような行為じゃないですかね

*2:アトムとビットの交差がどうだとかそういうぶっ飛んだ SF チックな話をしたいんじゃなくて、単に GUI の仕様として

*3:フォルダ分けやタグ付けではあまりに貧弱です。

*4:拡張現実とメモを組み合わせるような試みはいくつかありますが、そういうのが生きてくるのはウェアラブルコンピュータが普及するまでは無理がありそうなので本稿ではスルーしますね。

はてなダイアリーから移行してきました

はてなダイアリーから移行してきました。

 

相変わらず不勉強ながらプログラマ職をやらせてもらっています。今日も Twitter ではエンジニア達がまるで修学旅行の消灯後の枕投げのようにマサカリ投げでコミュニケートしておりました。Twitter って良いなーと改めて思ったワケですが「不勉強な人は喋らないでね。正しい事なら喋っても良いよ。正しさは教科書をちゃんと読んでれば分かるよね?」っていう空気感はあんま好きじゃないので、今後も折々の機会で思った事を節操無く書こうと思います。

あけましておめでとうございました。

人生の進捗どうですか?(進捗Advent Calendar 2013)

これは進捗Advent Calendar 2013 20 日目の記事です。本 Advent Calendar の管理人さんがこう言っておられる。

フォーマットにあわせる必要はないですが、あくまで進捗ですから、進捗相当の分量でお願いします。

というわけで以下、簡潔に進捗報告。

仕事 -> 進捗良いです

 昨年転職して、今の会社にお世話になっています。*1 *2 *3 *4 *5 *6 *7

生活 -> 進捗良いです

 自分が死ぬ場所は決まりました。あとは黙々と家族を養うだけです。*8 *9 *10 *11 *12 *13 *14

お金 -> 進捗ダメです

 住居を建てるため借金ができました。*15 *16

まとめ

 まずまずです。昨年より良くなりました。
 明日はたくち(@takuti)さんです。進捗どうですか?





 

*1:転職のときの事を少し書こうと思う。

*2:新卒で入った田舎の会社を退職してすぐ今の会社へ転職したので、僕にとっては 2 社目。前職の辞めかたは、近年のエンジニア転職バンザイな風潮を鑑みると少し風変わりだったかもしれない。僕は 5 年勤めた後で、辞めたい旨を上司に話し、それから 1 年間を当時のチームの成長に投資して、辞めた。新卒で入った会社をそそくさと辞めたという点だけ見れば、自分探しだとかゆとり教育とかいうワードと共に語られる、薄っぺらい若者の一人だと見なされるのかも知れない。しかしこの会社をトータル 6 年で辞めたという結果は僕にとってそれなりに意義のある事だったと思う。辞めた理由は僕の内面に依るところが大きい。僕の中で考えの整理がついたというか、給与の対価として会社へ提供できるものはその先(例えば向こう 20 年を想像してみたときに)あまり素晴らしいものには成り得ないなと確信が持てたので、辞めた。

*3:この時点で次の仕事のアテは無かったが、そもそも新卒で入社した当時から「いずれ退職するときは次の仕事を決めずに辞める」というつもりでいたから別に不安は無かった。その後すぐ上京して、Twitter で「仕事やるんで誰か雇ってくんろ〜」と言ったところ、たいへん有り難い事に数社からお声がけを頂いた。本稿で社名は伏せるが、オフィスの見学諸々を済ませて僕の中で絞り込まれた 3 社はいずれも抜群に素晴らしく、僕はそれぞれを「エンジニアを使って最高の経営をしている会社」「エンジニアに最高の環境を提供している会社」「最高の仕事がある会社」と特徴付けた。

*4:僕は上京した当初、自分で自分を営業して売り込むつもりでいたし、自分を雇ってくれるところならどんな会社だろうと飛び込むつもりでいた。だから、まさか仕事を選べる状況になるなんて事は想像すらしておらず、ずいぶん悩んだ。洗濯物を干した狭いベランダで何本もタバコを吸ったのを覚えている。だいたい、業務経験として田舎の中小企業でビジュアルストゥーディオの MFC 開発しかしてこなかった僕が、ウェッブ前提の開発をバリバリやってる、どうひいき目に見ても素晴らしい会社の中からひとつを選ぶなんて、どだい無理な話なのだ。しかし、だからといって放り出すわけにはいかないので「最高の仕事がある会社」を選ぶ事にした。もちろん、「他の会社がやっている仕事はしょうもない」とかいう話では無いので誤解なきようお願いしたい。結論が出た頃には洗濯物にタバコの臭いが染み付いていた。

*5:その後、初出社の日に手渡されたものがマウスでもキーボードでもなく軍手だったとか、git がうまく使えずメンバーに迷惑かけまくったとか、まぁ色々あったわけだけど省略。仕事に少し慣れてきた頃、諸事情あって生活の基盤を東京から田舎へ戻さなくてはいけなくなり、田舎からのリモート勤務へ切り替えることとなった。そして今に至るわけだが、まぁリモート勤務について僕が思う事は[http://d.hatena.ne.jp/kura-replace/20121026/1351245171:title]に書いた通りで、1 年経った今でも同じ事を思っている。

*6:僕は、仕事というものは大きく分けて 2 つあると思っている。一つは職人としての仕事、もう一つは生業としての仕事である。職人としての仕事というのは、"ずば抜けて高度で精密な、しかも世界で一点モノの成果" を上げるために自分の持っている技術と時間を惜しげもなく注入し、時には金や生活を犠牲にする事すらいとわずにやるような、極端に言えばそういう仕事のことである。生業としての仕事というのは、今日と明日の夕食をちゃんと食べる事を目的として、つまり成果そのもののクオリティの高さでは無く継続できることにこそ最大の重きを置いて取り組む、極端に言えばそういう仕事のことである。どちらの方が良い、とかいう話ではない。もし仮に生涯にやるであろう全ての仕事を鳥瞰できるなら、どちらのタイプの仕事をする事もあるだろう。しかし「少なくとも 30 歳までに生業としての仕事を一つ、決める」ということが実は、僕みたいな平凡な人間が経由すべきマイルストーンじゃないかと思う。僕はいまちょうど 30 歳で、ようやく、ソフトウェア開発を生業にするという事への迷いが払拭できたので、そういう意味で仕事の進捗は "良い" んだと思っている。

*7:

*8:結婚の話を少し書こうと思う。

*9:僕は結婚というものに対してひどく否定的だった。結婚するという事は、金銭的にも時間的にも大損である。それだけじゃない。住居を変えてみようとか夜更かししてプログラム書こうとか女の子とちょっと飲みに行こうとか、そういう日常的な自由すら奪われるという点でもデメリットばかりが目立つように思う。そもそも男性というのは狩りをする生き物なのだ。自由と合理性の追求ならいくらでもやりたいところだが、物理的・精神的にひとつの場所にいつまでもダラダラ居座るような生き方なぞ冗談じゃないがとうてい受け入れられない、と、そう思っていた。しかしそこで考えを止めず一歩踏み込んでみたら、実は結婚というものは積極的に避けるべき類いのものでは無いんだと思うようになった。先に言っておくがそれは永遠の愛だとか老後の寂しさが和らぐとか、そういう安っぽい理由によるものでは無い。

*10:「そこで考えを止めず一歩踏み込んでみる」というのは、自由と合理性を追求した果てに何があるかを考えるという事である。それなりに歳を取ってまぁ仮に 45 歳ぐらいになった自分を想像してみる。仕事が順風満帆で、何時でも誰とでも何処へでも飲みに行く自由があり、生活をとりまく全ての事柄にれっきとした理由がある、そんな究極的に合理的な生活を送っているとしよう。それは秩序であるかカオスであるかと問えば秩序だろう。綿密に考え抜いた秩序を装備して、完全体と成った 50 手前のオッサンである。その対極として、家族というカオスの中で揉みくちゃになってる 50 手前のオッサンを想像してみる。果たしてどちらが生の実感を噛み締めているのかと問えば答えは後者である。つまり、自由と合理性を追求するという生の営みは、生そのものの硬直を導くんだと思う。(まぁここまでは中学生でも分かっているレヴェルの話)

*11:さらにもう一歩、考えを進めてみる。所詮、人間である以上、経年の果てに待っているのは老いと死であるのは言うまでもない。死というのは終着点であり収束点である一方、自由の追求は無限の広がりを意味する。何が言いたいかっていうと、若造が欲しがる自由というものは、ゴールである死というものと本質的に連続していない、っていう残念な事実を、いつかどこかで受け入れる必要があるって事である。ところで、田舎にいると老人のリアリティを感じることができる。老人というのは、ただそこに生えているだけの植物である。風が吹けばざわざわ揺れて、雨が降ったら黙って打たれ、晴れたらただポカポカしている。若者はどこへでもヒョイヒョイ飛び回れるが、老人はただじっと動かずに死を見据えている。老人達は、動かない代わりに足下に根を広げている。僕は「老い」とは、その場所に自分の生を積み上げ、熟成させ、一つの樹として育っていくプロセスそのものなんじゃないかと思う。だったら、最初に根を下ろすのは早い方が良い。

*12:「俺はとりあえずここに根を下ろして、じっくり腰を据えてデカい樹を育てていこうと思うんでヨロシク。オマエら邪魔すんなよ」と公言し、周りに「あっそう。まぁせいぜい頑張れよ」って言ってもらう事が、結婚するという事なのだ。実は結婚というイベント自体にはその程度の意味しか無く、いずれ狩るべき最も大きな獲物は、結婚した後の生活にこそ見出せるような気がする。僕は結婚というものをそんな風に考えるようになってようやく、自由の抑制だとか金銭的に損だとか、結婚に際するさまざまな問題認識が、実は呆れるほど些細でどうでも良い事だと気付いた。なんなら、結婚する相手が誰であるかという事すらどうd..まぁそんなワケで、結婚して[https://twitter.com/PG_kura/status/382489246122008576:title=子供もできた]し、生活の進捗は "良い" んだと思っている。

*13:あぁちなみに「ハ?独身をバカにしてんの?」「人にはそれぞれ色んな価値観があるって、知ってる?」みたいな読解力の低い人のコメントはスルーで。

*14:

*15:家を建てる。家族は僕に、小さいながらも書斎スペースの確保を勧めてくれた。パソコンを置く机さえあれば別に寝室やキッチンで仕事しても良かったんだが、せっかくなので甘えさせてもらうことにした。

*16:しかし家っていうのはバカみたいに高い。その上、家が建つまではマンションの家賃とローン返済の二重苦である。金銭的な進捗は "ダメです" と言わざるを得ない。

何故プログラマやってるのか

 あけましておめでとうございます。
 昨年の暮れ、「kura さんがプログラマを続ける動機は何?」っていう問いを受けました。その問いをしてきた人は医療系のプロダクトに全力投球しているプログラマです。彼は、過去に医者に世話になった経験から何らかの恩返しがしたいという思いと、それによって病に人生を削られる人たちをできるだけ少なくしていきたいという願いをモチベーションにして日々頑張っているのですが、僕からはそういう "踏み込んだ思い" のようなものを聞いたことが無かったから不思議だったんだろうと思います。
 で、問いを受けて少し考えてしまったんですが、そういう意味での動機って僕には無いような気がします。そういう意味っていうのは、例えばゲーム開発している人にはゲームが好きで好きでしょうがない人がいたりするじゃないですか。また一方で、プログラムというものが好きだとかソフトウェアの技術的な興味が尽きない人っていますよね。だけど僕にはそのどちらも無かったりします。皆さんはどうでしょ?
 僕の場合は、少しばかりプログラムが書けるから食いっぱぐれないためにそれを仕事にしていますけども、裏を返せばプログラム以外のことを仕事にすることを想像できていないっていう点で危ういです。でも、その危うさを意識しているからこそ、何のためのプログラムを作ることになろうとも(たとえそれが嫌なアプリだろうと)、プログラムを仕事にし続けることを辞めないためのココロの固さが必要になります*1。ココロの固さとか言うと、ほんとただの精神論とかなんちゃって哲学の領域になってしまいますが、僕はそういうことを考えるのが多分、楽しいんだと思うんですよね。こうやって文字に起こすとどこか消極的になっちゃいますが、動機というならそんな感じだろうな。
 … とかいう事を "プログラマの哲学" というフレーズでまとめるなら、いわゆる「プログラマかくあるべき」的な話を僕は連想してしまいます。「プログラマかくあるべき論」は冗談をいう席でよく話のタネにしたりしますが、さすがに仕事でこれをマジに突き詰めようとする態度は自意識過剰で小寒いよなーと思ったりします。というのも職業プログラマってのはプログラマである前に組織のメンバー(平たく言えば従業員)である、っていう視点が欠落しているように感じられるからです。組織には例えば経営をする人がいたり、掃除をする人がいたり、経理とプロマネを兼ねる人がいたりしますが、彼らは「組織の歩みを支えるために○○の作業をやる係」であるに過ぎません。そうした並びの中に「△△のプログラムを書く係」がいるだけだ、というのが僕の認識です。なので「俺らプログラマはかくあるべきだから、それを分かってないマネージャ・経営はダメだ」っていう態度は「オマエら、俺らプログラマをもっとサポートしろ」ってふんぞり返ってるのとほぼ同じじゃなかろうかと思います。

*1:あ、今の仕事は楽しんでやってますゆえ、お間違い無きよう...

リモートで仕事をして 1 ヶ月経った

 半年ほど前、東京にある株式会社スケールアウトさんのところでお仕事させていただくことが決まり、嬉々として仕事していたのですが、先月末に事情があって福井に引っ越しました。で、いまはどうしてんのかっていうと、スケールアウトでの仕事を続けています。はい、福井の自宅から、リモートで作業しちょります。いやーまさか自分が在宅プログラマになる日が来ようなんて思ってもみませんでした。さて、リモートで作業をして 1 ヶ月ぐらい経ったので感じたことを書いておこうと思います。
 

1. 作業環境
 リモートで作業してます系のエントリは最近ちょこちょこ書かれていますよね。目新しいことは何も無いです。
 まず基本的に VPN で接続して作業します。何故これを基本に据えられるのかというと、仕事をするにあたって印刷物が不要だからです。今どきはこんなの普通ですが、ほんの 5 年前 10 年前までは普通ではなかったように思います。まぁ僕はいまベンチャー企業にお世話になっているわけですし印刷物に時間を取られないのは当たり前ですね。
 次にチームとの連絡ですが、これは2段構成にしてます。一段目としてチャット、それで足りない場合に二段目として音声通話・画面共有・動画による対話などをスポット的に行います。より突っ込んだ議論のため、稀に東京のオフィスに出張することも考慮してありますが、日常的にほぼ全てのコミュニケーションがこれで足りています。
 最後に作業デスク。自宅に机をひとつ用意して、そこでマシンに向かうだけです。キーボードとディスプレイがある、ごくありふれた風景です。


2. リモート環境ならではのメリット・デメリット
 誰もが想像する通りです。どうでもいいので割愛。


3. 「これからはリモートで作業するのが普通になっていくのか?」
 という旨、知人に問われたのですが「いいえ、そんなことは無い」と僕は思います。
 リモート環境で作業をするということは、オフィスに顔を見せない、同僚に気配を感じさせない、メンバーと雰囲気を共有しない、ということです。いわば、オフィスの日常からその人の動物的な存在感が削ぎ落されるわけです。それは人の統制(もしくはそれを含む経営)という領域においてはマイナスに作用する部分が確実にあります。
 とか言うと「プログラマだったらコードで会話しろよ、お互いドライな関係のほうが作業効率は良いに決まってるだろww」っていう脊髄反射をする人がいますが、目の前の作業効率だけで優劣を判断するのはアホのやる事だと思ってるので(まぁ最近は SNS のおかげかそんなこと言う人もずいぶん減った気がしますが)僕は賛同できません。よく「仕事は何をするか、ではなく誰とするか、だ」と言われますが、全くその通りだと僕は思っています。たとえそれがプログラミングという仕事であったとしても、ふと近くにいる人に話しかけたりするじゃないですか。そういう小さなやりとりが日常業務にどういう具合にインストールされているか、また、その積み重ねが企業というものにどう影響してゆくか、ということを少し想像するだけで「企業は人である」ということを考えざるを得ないと思います。
 企業が人である以上、その中では、人と人の信用に大きな重きが置かれます。リモートで仕事させようとするなら、その人に信用が無いと OK は出せません。別に僕がめちゃくちゃ信用されているっていう自慢をしているわけではなく、「あぁこいつはこういうヤツだな」とメンバーに理解してもらうことが、リモートで仕事し始めるために少なくとも必要だろうと思うのです。僕の場合は、東京で働いた半年間にちょうどそういう価値があったんだろうと認識しています。
 … というような前提を踏まえたうえで現実に目を向けると、そもそも僕がやっているようなリモート作業ってのは、オフィス側の協力が無いと実現できません。強力なバックアップがあるからこそ、ようやく仕事としてやっていられます。なので、リモートでの参加がデスクワーカーもしくはプログラマ達のスタンダードを勝ち取るとは考えていません。


4. 「リモートで仕事することを選んで正解だったか?」
 と聞かれればそれはもう全力で Yes です。但し、僕の今の生活をとりまく諸々を含めて考えるならば、という添え書きがつきます。僕の場合は、今以上に良い環境というのはそうそう無いと思っていますが、だからといって万人が望むべきものだとは思っていないです。それは前節で書いたようなことが理由の核です。しかし、全員が同じようにオフィスに出勤して、全員が同じように働き、また同じように退勤する、というようなことを強制する企業というのは、完全に時代遅れです。労使各々の事情の擦り合わせによって許容される労働形態のバリエーションは、ずいぶんと広がってきましたよね。いや、"広がってきている" という表現は誤解を生みますね…"労働者からベストな成果を引き出すためのテクニックとして労働形態のカスタマイズが一般化してきた" というべきかも。まぁとにかく、リモートでの仕事が万人にとってプラスでは無いと思う一方で、「リモートでこうやるとこういう風な仕事をすることが出来るよ」という選択肢がひとつ増えることは万人にとってプラスであるように思います。